授業のひとこまから 〜中3「個人と社会」、利己的であって利己的ではない、の末路とは!?:議論愛好会、結成、その顛末!?

『全てのクレタ人は嘘つきだ!』というクレタ人は正直モノか嘘つきか、はたまた、このセリフはウソ?ホント?
嘘つきが本当なら、その嘘つきが吐いたセリフ、『嘘つきだ』は嘘になり、嘘つきではなくなり正直な言葉になるが、その正直なクレタ人が『嘘つきだ』が本当のことになり、嘘をついていることに、、、
ああ!頭が痛くなってくる!?

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偖。
ライブラリアン小竹先生の、生徒への思いがたくさん詰まった本校メディアセンターで、毎週三コマの授業が展開せられる中3「IBMYP個人と社会」の授業の一コマ。

一学期に、日本国憲法の学習と、制定史、そして、世界の思想家の授業を経て、二学期は、経済理論のオンパレード。日本の入試でおなじみの「需要・供給曲線」、「価格決定理論」、アダムスミスにケインズに、ノーベル賞受賞者アマルティア・センの理論。はたまた“ゲーム理論”に“囚人のジレンマ”。
決して、理論の上澄み液をサラッとなぞるだけの授業ではありません。もちろん、中学生ですし、留学生の言葉の問題もあるしで、その内容は、教師の独善で終始しないように、かならず現実世界に落とし込める“(身近な)たとえ話し”で、十代の少年少女たちの興味をかきたてようと努力します。

そもそも経済(学)とは、子どもだろうが大人だろうが関係なく、日々、その時間がすぎていく中で、容赦なく降りそそぐ、当しく日常生活、それ、そのものなのです。
だって、日々、人間が、生きていくこと、それ自体が「経済」だからなのです。

ここ十年のノーベル経済学賞の受賞内容や、受賞者の言葉を見てみると、きわめて人間の日々の生活に密着しているかがわかります。分野的には「行動経済学」でしょうか。言わば、の要するに、人間の行動生態、あるいは、それらを決定する心理学と経済学を足したようなものが行動経済学とすると(異論は、、認める!?)、大人も子どもたちも、悲しいほど突き抜けるそれら、個々の日常生活を、求めようが求めていまいが降りかかってくる現実も・超現実も、生きて、否、生き抜いているわけですから。

閑話休題。

政治とは、人間研究、経済とは、人間の毎日の営み、が口癖の池田のはるか上空を、生徒たち、子どもたちが“(ぶっ)飛んだ”お話;

ホッブス、と聞けば、皆さんは『万人の万人に対する闘争』という言葉を思い出す人も多いことでしょう。ホッブスの理論の出発点は、人間が、社会における自分たちがいかに生きているか、生きようとしているかの、まさしく人間研究から始まっています。
自己保存本能(self-preservation)に素直にしたがい、生命・自由・財産を守るために、自分が最も得しようと行動し、と同時に、行動しても構わない、としました。とても大事なことです。

学校という場所は、えてして公共の福祉を優先する場所で、それこそそれを学ぶための場所であるわけで。そういう素地の下、授業をすると、子どもたちは、先のホッブスの言葉に飛びついてきます。
部分的にでも、「『利己的』であっていいの!?」、となる訳です。

高校までは、古いふる〜い紀州徳川家の藩校がルーツの田舎のボロボロの学校(冬は隙間風がひどいのなんの、、)で、バリバリ理系の池田。人生の中で、とっても大きな出会いと、まさしく人生を変えるような大事件に遭遇してしまい、母校の大学出身者には珍しい学校教員、しかも、理系とは真逆の社会科教師をしていますが(たぶんに、実家が禅寺というのも社会科教師になった契機ではありますが、、)。

自分に厳しく命じている、自制していることがあります。それは、、教師をしている間は、共通一次〜センター試験〜共通テストを受け続け、事前に決めた全科目、5教科9科目の点数の合計平均点(うぅんんん、、何点か知りたい人は、直接池田までおたずねください!?)を下回った場合、すぐに教師をやめる、という誓い(ある一定の年齢に達したら、自動車運転免許を返納する、に似ているかもしれません)。

そして、それよりプライオリティーが高いことなのですが、教科の特性上、ただ暗記するためだけの専門用語暗記させマシーンにならないために、教科書に出てくる書物は、かならず、その理論に、その源泉として、原書、乃至は訳書を、最後までキチンと読むことを課しています。先述の「万人〜」も、『リヴァイアサン』を読み込み、何度か再読もしています。

まあ、還暦前に、青臭い話ですが、それが生徒への礼儀のように考えています。

再閑話休題。

偖、却説。
アダムスミスの著作「諸国民の富(の本質と原因に関する研究:An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations.」について、子どもたちに言及する時に、生徒たちが、特に反応したフレーズがあります。
「人間の本性は『利己的』だが、個々の人間が、その利己心に基づいた自由な経済活動を行うことにより、個人の利益だけでなく社会全体の利益が増大する」、です。
何人かの生徒たちは、正直、ギョッとしていたことが、その教室内で印象的でした。。
みなさん、わかります?まるで、個々人が・自分が、わがままな行動を取ればとるほど、社会、いわんや、クラス教室が良くなる、とでも言いたげではないですか!?
そう読めなくもなく、当たらずとも遠からず、と言ったところだとも思うのですが。。

ここで、我らが朝日塾の生徒たち!
僕が水を向けたから、ということもあるのでしょうが、何人かの生徒が、池田教室名物“自主レポ(ート)”を書いてきて。
中には、一学期中のテーマ、「自由と平等は同時に成り立つか!?」、「平等と公平の違いは?」などのトピックに繋げて書いてきたのです。ええ、そうなんです、つなげてきたのです!
また、“ホッブスが言う「利己的」”と“アダムスミスが言う「利己的」”はこことここに共通点はあるが、それ以外は別物である、という反論も。

その、挑戦的な真っ直ぐな態度と、物怖じしないリスクテイクな姿勢。
池田の前では、若ゾーであるに違いない彼らの探求の姿勢!!!
素直に肯首し、頭を垂れました。

うぅ〜んん。。
やるなあぁ!朝日塾生!!君たちの未来は明るいぞ!!!

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生徒たちの論文・レポートについて、毎回、日英バイリンガルで提出してくる強者も。
議論愛好会に集まった面々には、多様な文化背景が見られます。
日本、韓国、中国、ロシア。
ダブル国籍に、トリプル国籍。
生まれも育ちも日本、海外帰国生、そして、留学生たち。
個々、彼ら自身の自由意志で(勝手に)集まります。
そこは、本、ほん、ホンの森。
まさしく“竹林で清談にふける学徒たち”が大好きな「朝日塾メディアセンター」。もちろん、ライブラリアンは、みんな大好き小“竹”せんせい。

To be continued…

IBMYP社会と個人/国際交流部担当/“議論愛好会(仮称)結成立会人”
池田 大介